年を重ねると? 

公開日: : 最終更新日:2016/10/05 こぼれ話, コラム, 親の介護

 半分本気で半分は?で思うことは、“年を重ねることは侮れない”である。

生きてきた年月が違うし生きてきた年代が違うのだから当たり前なことではあるのかけれど。

 今は平和だと言われる時代であり、なんでも物が揃う時代だけれど、特に祖父母の世代に戦争があったのだ。生きることに必死さが今とは違ったのかもしれない。

数年前に亡くなった祖母に関しては戦前のことをよく話をしていたのを覚えている。大変な時代に子供を5人育ててきたのだ。ちょっとやそっとのことでは動じないし、なんというかたくましさが違うのだ。孫なんか当たり前、娘も息子もよその人でさえ手の上で転がされているような、何というか、いい意味でのずるさがあるのだ。

 

自分の家族や親戚はもちろんのこと、人を使ううまさや、何というか取り込むうまさは、感心しきりである。もともとの性格も大いにあるのだと思うけれど、これは年を重ね、少し認知症の症状がみられるようになってもあまり変わらない。

そして、それぞれの得意や不得意を見極め、上手にそれぞれに特に子供たちを役割分担をさせ動かすのだ。娘である私の母はそれを理解したうえで、仕方ないし当然だと思って祖母の対応をしていた。職業柄もあるのだと思う。

叔父や叔母とそのことについて話し合ったことがないので、どう思っているかはわからないけれど、私から見ると、いつまでたっても小さな子供と親のそれ。きっと、叔父や叔母が子供のころから変わっていないのだろうと、思う。

e57113e019c460e65eea5f10211fb3a7_m

たくさんの高齢者にお会いしてきたが、皆さまそれぞれに灰汁がり、そしてそれ以上に魅力がある。

共通して言えることはきっと、いい意味でしたたかであること。

こちらがうまくなだめてすかしているつもりでも、実際は逆である。相手には見抜かれそれを承知のうえで付き合っていただいているんだなぁと、いつも高齢の方と接するたびに思っている。

もちろん、負かそうとか、だまそうとか考えているわけではないので、楽しくコミュニケーションをとれるのだが、年を重ねるということは体力や気力がなくなることでもあり、“生きる!”ということに本能で執着し、研ぎ澄まされた修行の境地なのかもしれない。

 

関連記事

10年後の介護…。

 有識者らでつくる民間研究機関「日本創成会議」(座長・増田寛也元総務相)は4日、今後10年で東京

記事を読む

オレンジリングを知っていますか?

 「認知症を知り地域をつくるキャンペーン」の一環として「認知症サポーター養成講座」を受けた人が「

記事を読む

【現金な】‘現金の話’

ビックリ&ありがたい!「お金あるの?10万円用意しておいたから、送るから住所教えて!!!」母の友人の

記事を読む

仕事と介護~介護離職しないために~

 ① 厚生労働省の取り組み  高齢者人口の増加と共に、介護保険制度上の要支援・要介護認定者数は

記事を読む

ちょっと待って!その改修工事

 親が高齢になってきて、玄関やお風呂場等に手すりを付けた方がいいかな?とか、和式のトイレが大変そ

記事を読む

国際福祉機器展2015へ行ってきました

  昨年に引き続き、東京ビックサイトで開催されている“国際福祉機器展”へ行ってきました。 広い会場に

記事を読む

介護の先を考える

死後のこと、考えたことがありますか? 散骨・樹木葬・骨仏等お墓に骨を埋葬しない形態も増えてきて

記事を読む

仕事と介護~介護離職しないために~②

 ② 職場への告知とタイミング 介護がはじまると出てくる問題は様々あるが、その一つが職場への告

記事を読む

備蓄について

  9月1日といえば防災の日。 あいにくの天気だが、各地で様々な防災訓練等が行われ

記事を読む

終活ミーティングのススメ

 旧盆のこの時期、帰省したり、家族が集まる機会があるのではないでしょうか。 そんな時、せっかく集まっ

記事を読む

お問い合わせ
PAGE TOP ↑